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2008年10月24日

高校時代の友人



大学に入りますと交友関係は専門を同じくするもの同士が一番濃くなるのは自然の成り行きと思います。それに引き替え高校時代の同期生はまさに多士済々。
私は高校時代を父の転勤のため三重県で過ごしました。50人一クラスで1学年10組ありました。卒業後の進路で色んなクラスに分かれていたのを思い出します。




そんな同級生の中で後々画家としての才覚を現すのが武者素子です。奈良女子大学に進学した彼女にどこにそんな才能が隠されていたのか、どうやってその才能を育んだのかそんなことを聞く前に彼女は逝ってしまいました。
お嬢さんからの一通のメールが今月同級生の間を駆け巡った。彼女の死を告げるもので、誰もがあっと声を上げた。そして次に出てきた言葉が“奇才武者素子、鬼籍へ”。




友人からのメッセージをいくつか引用します:




’画家が運命だった’(私はそう思うのですが)とも言える彼女の生き様は、想像を絶する迫力でした。それ故、画家としての誇りも高く、感性はいつも研ぎ澄まされていて、計り知れないほど深く、豊かであった様に思います。彼女はメキシコに何度も行っていたようですが、「メキシコは私の心の故郷なの」と穏やかな目で話していました。又、「日本では文化や芸術が日常生活の中になかなか根付かない」とも言って、生活はなかなか厳しいようでした。海を見るのが大好きな彼女。「鎌倉の海が見たい」ということで、以前ご一緒したのですが、私が一緒に居ることもすっかり忘れ、それこそ長い長い時間、無言で海を眺めていた事もありました。



「水彩画は簡単に描けるように見えてたいへんなのよ。描き直しが利きませんからね。たった一本の線を引くのにも全精力を注ぎます。」 彼女の肉声がまだ耳に響くようです。「武者素子墨彩画の世界」のどの一つの絵を見ても、それが痛切に分かります。この秋、ポーランド、ウクライナに旅した仲間に、塚原琢也という有名な写真家がいます。身近で彼の撮影現場を見るたびに、彼と言葉を交わすたびに芸術家の厳しさを思い知らされました。武者素子も同じ世界にいたのでしょう。ボージェ・イズブランヌィエ(Bozhe-izbrannye 神によって選ばれし人々)という好きなロシア語があります。才能に恵まれた芸術家のことを指しますが、彼女もそうしたボージェ・イズブランヌィエの一人でした。



彼女の残した画廊がインターネット上にあります。お楽しみいただければ幸いです。
ご冥福をお祈りします。                                 合掌


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